ライフコーチもとあきの自分史 誕生〜保育園時代
ライフコーチもとあきの自分史をまとめました。
誕生からライフコーチになるまで。
今回は「誕生〜保育園」。
僕のビジョンの軸が出来た時代である。
誕生
1992年4月30日、長野県の木曽という土地で生を授かった。
出生体重は3800g超え。お産は予定より2週間遅れ。なにか絡まるとか絡まらないとか。
当時、綺麗にリニューアルした病院の第1号で、新聞やらテレビやら何やらに載ったらしい。
「生まれた時からずっと大変」という親のお言葉を頂いた。光栄やね。
「好き」のままに生きる戦車ハイハイ系幼児

男の子なら経験の有る方も多いと思うが、興味のあることにはまっしぐらな子どもだった。
自動車、魚、恐竜、電車、昆虫…図鑑がボロボロになるまで読んでいた。
自動車はライトの形を見れば判別出来たし、大阪の「海遊館」という水族館に何度も足を運び、親にどんな魚がいるか紹介していた。
父が持っていた「セガサターン」の「セガラリー」というゲームをやり込んでたなぁ。
それから「ラリー」という自動車競技にハマって、父と一緒にVHSで繰り返し観ていた。
それは家の外でも同じで、当時爆速でハイハイをしていたらしく、大人が何人いようが、地面がアスファルトだろうが関係なく、猪突猛進。
目を離すとすぐいなくなって、何かしている。そんな子どもだった。
「『好き』に熱中して生きていく!」という気質は芽生えていたのだと思う。
パワー全開の保育園

さて、通っていた保育園。これも凄かった。
子どもたちのパワーはさることながら、保育士さん達が凄まじい。
遠足でも4kmくらい歩かせていたんじゃないかな。
もうとにかく遊べ遊べ、そして食べて寝ろ。好きなことはガンガンやれ。
色んなことに挑戦させてくれた。
竹馬を自分たちで作って凄い高さまで練習したり、のこぎり使って板を切り、三編みをして馬を作ったり…
幼少期の有り余るエネルギーを発散させてくれたのだ。
もう体力がついたのなんのって。
そうそう、好奇心旺盛な部分で言うと、僕はなぜか文字が好きだった。
普通は読み聞かせに使うような本を自分で奪い取っていた(笑)
紙芝居を保育士さんたちに読んでもらっているにも関わらず、紙芝居の後ろに回って、自身で文字を読んでいて注意されたそうだ(笑)
やりづらかっただろうなぁ、保育士さんたち。
でも、そんな僕の好奇心旺盛な部分を受け入れてくれた。
身体も鍛えてもらったおかげで
「健全な魂は、健全な肉体に宿る」
を自身で感じることが出来たのかもしれない。
今後の座右の銘になるものを教えてくれた保育園だった。
まとめ
さて、振り返ってみると今の僕に通ずる部分がとても多く、既に軸が出来上がっていたように感じる。
それもこれも、
- 好奇心を受け入れてくれた環境
- 好奇心を満たすだけの健全な身体に育ててくれた環境
があったからこそである。
だからこそ、僕のビジョンは「6歳児」なのかもしれない。
コレを読んでるアナタも、自分史を振り返ってみてはいかが?
もしかしたら、知らずに隠していた「そのまんま」に会えるかも!
最後まで読んで頂いて、有難うございました!