「一杯の白ご飯を楽しめる状態」が良い人生に変えてくれる

こんにちは、もとあきです。

さて今日は、開田高原というドのつく田舎に来て思ったことについて。

2021年8月のまとめの記事でも書いた話。

僕は開田高原という、どこまででも森が広がっていると錯覚するような大自然の中で過ごしている。

間違いなく、動物のほうが人間より多い←

その土地の辞書には「利便性」「エンターテインメント」という文字はない。

用意される予定も無い。

ただ「いまこの瞬間」、そこに自然が在る。それだけだ。

この8月、そんな土地に移ってきて様々な人と出会った。

その人たちを見ていて、

「その対処の仕方で、人生の愉しさが決まってくるんじゃないか?」

そう感じたので記録に残しておこうと思う。

ほな、いくで。

同世代事業主との外食と川原での熱唱

さて、開田高原という土地に移ってくるにあたって、僕はある一つの覚悟をしていた。

同年代の人間と外食をしたり、語り合ったり、カラオケに行ったりは出来ないだろう。

まして、恋人をつくるなんてほぼムリやろう。

ということ。

関西や群馬を拠点としていたときには、当たり前のように出来る環境にあった。(「恋人を作る」以外は)

「自分の『好き』を押し通して、移って来たんだからそういう代償はあっても仕方ない」

そう思っていたのだ。

どこかで、「好きを仕事にすることに対しての罪悪感」を抱いていたのだと思う。

「仕事以外やっちゃだめ」にも近いかな。

ところがどっこい。

こんなことが起こったわけで。

ちなみにこのお店「Cafe KaZe」さんと言って、大阪から来たご夫婦がやってるお店。

こんなところでも関西弁かい←

とまぁ、そんなこんなで僕は自分の中で禁じているような感覚でさえあった「同世代との邂逅、および外食」を果たしたわけだ。

個人事業主たちの集まる場を探せば同世代がいて、意気投合することになった。

カラオケで言うと、開田には川原があって全力で歌えるし、音響が欲しければ、Cafeでもライブをやったりしてる。

要は工夫だ。

自分が楽しめるよう見出せば良い

避難所の翌晩のご飯

避難所で初めて非常食を食べた。

ふやかすご飯。

お湯を入れて5分。これが案外いける。

僕は「案外美味いし、面白い経験できたな、ラッキー」

位に思っていた。

次の晩、無事に帰宅出来た僕は、ご飯とビールを味わっていた。

これが美味いのなんのって。

命あることも嬉しかったが、「こんな美味しいものだったんだ…!」という驚きが勝っていた。

もちろん、ビールがあったからこそ楽しい、というのもあるかもしれないが、でもその瞬間、僕は間違いなく「白ご飯を味わうことが出来た」のである。

「料理を豪華にする」か、「一杯の白ご飯を楽しめる状態になる」か

さて、「今晩のご飯を美味しく食べたい!」とした時、方法は2つある。

  • 料理を豪華にする
  • 一杯の白ご飯を楽しめる状態になる

だ。

「料理を豪華にする」のは単純だ。

新しい調味料、食材をガンガン加えていけばいい。

そして、一流シェフ監修のフルコースを用意すればいいのだ。

これは

「今、自分が持っていない価値、新しい価値を加えていく作業」と言える。

さて、では

「一杯の白ご飯を楽しめる状態」とはなんだろうか?

白ご飯をより旨く食べる、と考えてみよう。

それは時に、運動、仕事、極限までの空腹、誰かと食べる…などなど

これらに共通するのは、「元々見ていなかった価値を新たに(もしくは改めて)感じること」である。

空腹は想像に難くない。

味、食感の新発見になる。

白ご飯が「誰かと話すこと」に「食べ物を共有することによる会話の弾み」という彩りを加えてくれたりする。

目の前のものから、「価値」を見出す、引き出す。

持っているものから、新たな愉しさを見出す感覚だ。

「豪華な料理を最大限楽しむ力」=「一杯の白ご飯を最大限楽しむ力」

そんなことを言いながら、僕は「白ご飯」を適当に味わって、「豪華な料理」を探し求めてきた。

豪華な料理に出会える人生は豊かになる、というのは今でもそう思っている。

だからこそ会社員を辞めて、ライフコーチとして独立して、木曽に移り住んだわけだ。

でも、豪華な料理に出会っても、それを楽しめる力が無いと意味がない。

そして、「白ご飯一杯を最大限楽しむ力」は「豪華な料理を最大限楽しむ力」と等しい。

そう考えている。

一杯の白ご飯を楽しむために

さて、じゃあ白ご飯を楽しむためにはどうしたら良いのか?

いつもの話になってしまうが、結局「有難う」と「そのまんま」だと思う。

評価も何も加えず、物事を「そのまんま」見る。

そのまんま見出した価値を「有難う」と味わう。

これに尽きるのではないか。

ただ、新たな経験をすることで見えてくる側面もある。

例えば、学問だ。

知識を得ることで、いま持っているものが急に輝きだして見えたりした経験はないだろうか?

スポーツならば

怪我をすることで、「あぁ、身体のケアって大事だな」「普段から筋トレしてないとこうなるんだな」

と分かる。

これも、「白ご飯をより楽しめる状態」になったわけだ。

そうやってどんどん考えていくと、

経験したもの全てが「白ご飯を楽しむための材料」に思えてきて仕方がない。

「白ご飯を楽しめる」、これが俗に言う「幸せ」に繋がっている。

僕はそんな風に思っている。

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