退職したから、どんな気持ちで何をしたか書いていく

大変ご無沙汰です。もとあきです。

前回の記事で、

「突っ走りすぎてる、というか色々モノを詰め込みすぎてる」の感覚が強くなった。

って書いてるくせに、ものすごい長い期間放置していた。

相変わらず自分は自分の操作方法を分かってない。

「全てひと段落したら書こう」って思いながら、早2ヶ月。

久々に投稿したと思ったら

退職

の2文字。

なんという重いタイトル。

そうです。退職してきたんです。

正直、意外にサラッと終わってしまった退職イベント。

何をしたか?どんな気持ちになったか?

心が生暖かいうちに書いておく。

参考に…なるかな。

いきます。

重くなっていた「退職」

僕は色々考える癖があってナルシストだ。

退職に対して、色んなことを考えていた。

噂によると、偉い人からヒアリングされるとかされないとか…

だから、「退職ってどんな感じだ?壮大なモノになるんだろうか」とか、たまに退職のことを考えると妄想が膨らんでいた。

だから、最初は

https://twitter.com/SZhStHBWpo3lpS0

こんなことを考えていた。

こんなことを考えているとどうなってくるかと言うと、

どんどん退職が面倒くさくなって、重くなっていく

のだ。

諸手続きもあるしなぁ。

なんか年金とか色々やらないかんし、納税も勉強しないといけないなぁ。

とかとか。

木曽で色々活動している間、ずっと頭の隅の隅の隅の方で、どよーんとダルかった。

力みが生まれたフロア

「フロアまで来なくても、1Fで話してもいいよ」

と上司は言ってくれた。

でも、なんとなく

「いや、いつものフロア行きます」

と答えていた。

見栄だったのか、そうしないといけない感覚があったのか。

きっと、

「田中はよくわからん奴だった」で終わるのが嫌だったのだ。

「やっぱり田中は田中だったな。」でいたかった。

病気も休職も退職…他の人が気にして腫れ物扱いするようなことを、アッサリと自分から曝け出していく。

僕はそれがしなやかな強さだと思っているし、実際に僕が病んだのは、その人達のせいでは無い。

遠慮しないでほしかった。

そのためには、僕からオープンにしていく必要があったのだ。

相手の想いを動かす手立てがあるとすれば、こっちがまず想いを出す。基本。

さて、とはいえ流石に1年ぶりのフロアはキツかった。

肩がめちゃくちゃ凝る。

「あー、これがトラウマかぁ」って思った。

実際にそんなことはないのだが、天井が低く、日当たりが悪い。

換気をしているはずなのに空気が重いような。

胸を張らないと負けてしまいそうだ。

力が入ると呼吸が浅くなる。ヨガやってて良かった。

心は世界を映しだす。

僕らは世界をそのまんま見てはいない。

「相当しんどいところで僕は働いてたんやな」

「力まないといられない場所では疲れる」

と改めて身体が教えてくれた。

いつだって身体は正直だ。

「フロアに行く」と言ったことをちょっぴり後悔していた。

でも、紙を書いたら終わり

「これはしんどいな、あれやこれや聞かれるの面倒くさいな」

と思っていたら

意外や意外、「紙を書いて」で終わり。

めっちゃあっさり。

「あれ?こんなもん?」という感じ。

出した紙の内容は

  • 辞める宣言
  • 機密守ります宣言
  • 何で辞めたか?今後どこで何するか?報告

以上。

「これだけで退職なんだな」と。

なんか寂しいような。拍子抜けのような。

上司からのヒアリングも10分ほど。部長からも「残念です」の一言。

でも良かった。

こんな雰囲気だからこそ僕は辞めたくなったんだな、と再確認できたから。

(「残念だと思うなら、病気になった時に対策してくれよ」と思ったのはナイショ♪)

淡々と思い入れの無いモノばかりのデスクを片付ける

紙を書きながら、デスクをひたすら片付けていった。

ほいほい片付けていける。

特に思い入れも無いものが殆ど。

その時思ったのは

「あ、僕は仕事が好きじゃなかったんだな」

ということ。

教育担当もおらず、毎年のようにチームを動き、ぐるぐる回っていたが、どれも勉強段階で終わってしまう。

何かお前が残せたか?と聞かれたら「ほとんど無い」と答えるだろう。

一部は携わったけどね。

あ、誇れる報告書が一つある。

部代表を獲得した報告書だ。あれは楽しかった。

一つあるだけでも良かったかな。

挨拶メールなし。挨拶したい人には会いに行く

よくある

「お世話になりました」的なメールは打たなかった。

別にかかわりのない人間から言われても、仕事に差し支えるだけだ。

今後のことを話したい人がいれば、僕から会いに行くし、個人的に連絡をとる。

会社に対して、冷めてる自分に驚いた。

同時に、

「場所ではなく、人が好きな自分」を再発見した。久しぶり。

その代わりに挨拶したい人には、今後の展望、休職で感じたこと、人生観…こってりまったり話した。

全員になんて好かれるのは無理だ。

それならば、せめて、自分の好きな人にはしっかり好きでいる。それを表現する。

しっかりとうるさい愛を伝えてきた(笑)

お忙しい中有難うございました。

紙を出したらNEW GAME あっという間に「装備なし」

一番僕がビビったのは「年末調整」の用紙。

もし、在籍しているなら今月中に出さなきゃいけないのだが、その概要に「11月、12月中退社予定者は除く」と書かれていた。

「あ、もう誰も僕の代わりにやってくれへんのや」

そう思った。

流石にちょっと震えた。

何とかなる、とは思いつつ。

未知の世界でのNEW GAME。

自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分の身体で表現していく。

もう「SUBARU」の装備は無い。

気付いたら「装備なし」だった。

あるのは自分だけ。

生物が生き残るには集団の中にいた方が良い。

僕の「生物の部分」が身体に警告しているような。

そんな感覚だった。

いつも通り接してくれた同僚と先輩

デスク周りを片付けている間、同僚や先輩は普通に接してくれた。

「どこに行くの?これから何するの?」

おかげで自分も、普通に答えて、木曽町のことをPRできた。

開田高原のこと、木曽のこと、魅力あふれる個人事業主のこと、地域おこし協力隊のこと、バレーボールのこと…

「いやー、もう車の開発は疲れました」

なんて、冗談も交えつつ。(笑えないけど)

少なくとも、「田中は楽しく生きていきそうだ」というのが伝わるように。

僕がSUBARUの人たちに出来るのは

  • 「病気になったり、辞めたりしても、楽しく生きていける」と伝えること
  • 「田中のように生きていけるにはどうしたらいいか?を自分に向き合ってもらう」ためのノック
  • 木曽に来てもらって、心を癒してもらうための縁を繋いでおくこと

それが少しは伝わってると良いな。

1年も休んだにも関わらず、そんな雰囲気にしてくれた担当、後輩、先輩、本当に有難うございました。

まとめ:退職は意外にあっさり終わる

ということで、退職日のことをザックリ振り返った。

改めて

自分が病んだ理由、自分が力を注ぐべき対象、どう在りたいのか

を確認できた日だった。

結構重く考えがちだけど、退職ってサラッと終わる。

重く考えている出来事も、そんなものなのかもしれない。

「SUBARU」という装備が取れて、「装備なし」にはなったけど。

経験値がたまって、レベルアップ音が鳴る。

そんな気がした一日だった。

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