【充実した人生】歳をとると時の流れは速くなる?

こんにちは

ライフコーチのもとあきです。

8月も終わりです。

こんなことを言っていると

「時が経つのはあっという間ですね〜」

なんて言ったりします。

さて、こんなことを思ったことはありませんか?

「歳をとるにつれて時が経つのが速く感じるようになった気がする」

不思議ですよね。

僕も大学に入学してから社会人まであっという間だった気がする。

でも小学〜高校生あたりはそんなに感じなかった感覚もある。

さて、今日はそんな

「時の流れ」

について、僕の経験や「時の流れ」について語っている法則についてシェアをします。

  • 最近、時の流れが速く感じるなぁ
  • 気づいたら大きい月日が経っていて怖い
  • 今のままで過ごしていくことに違和感がある

という方に、ご参考になれば幸いです。

【結論】充実した日々には「速く感じる」と「長く感じる」が同居するっぽい

「何言うてんねん、この子」と思った方。良い感覚してますね。

その感覚は大事にしたほうが良いです←

分かりづらくてすみません。

では、ゆっくり考えてみましょう。

【そもそもの発端】なぜ大人になると時の流れが速く感じられるのか?

導入でもお話しましたが、発端は「社会人になってから、やたらと時の流れが速い」と感じることでした。

この感覚、あなたにも在るんじゃないでしょうか?

でも本来、時間の流れは万人に平等。

当たり前ですね。

これは、地球上にいるのであれば誰しも同じです。

歳をとるスピードだって変わりませんよね。

小学校の時は同い年だった人間が、20歳になるタイミングは違ってた、なんてことはありません。

では、なぜ「歳をとるにつれて時の流れが速くなる」のでしょうか?

これについて、ある法則を捉えた人物がいました。

その法則を紹介します。

【ジャネーの法則】体感時間の長さは年齢に反比例する

ジャネーの法則とは「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢に反比例する」という考え方で、19世紀フランスの哲学者、ポール・ジャネが発案した法則です。

簡単にいうと、「歳が2倍になると、体感時間は半分」ってことですね。

この法則の理屈は以下です。

5歳の時は1/5で1歳の時の5倍、10歳の時は1/10と分母である年齢が大きくなるごとに、人生のうちにその1年が占めた割合が少なくなり、体感として時間が短くなったように感じるのです。

大人になると体感時間が短くなるのはなぜ?ジャネーの法則を解

同じ1年でも、

5歳にとっては20%、50歳にとっては2%

だから、1年に対する長さが違ってくる。

という訳です。

一応、頭に入れておいて欲しいのが、「数え始めるスタートは記憶が始まってから」ということ。

こういうことを唱えた方が19世紀にいたんですね。

【もとあきーの考え】「新鮮さ」が体感時間に影響する。

僕はジャネーの法則は、当たらずも遠からずだと考えています。

当たらず、と考える理由は僕の経験から。

8月から僕は木曽に移ってきて、様々な経験をさせて頂いてます。

個人事業主同士で話をしたり、木曽に移住してきた方と仲良くなったり、地域おこし協力隊のことを考えたり…

感覚としては

「まだ8月なん?」でした。

会社員時代は、「もう1年経つんか…」という感覚。

歳を重ねているのに、体感時間は遅くなっています。

ということは、僕の場合ジャネーの法則は当てはまらない訳です。

その2つの時代で何が違うのか?というと…

「新鮮さ」

です。

会社員時代は、出社してお昼ごはん食べて帰ってくる。

なんとなく自部署の仕事も分かって、同じ人と付き合い、「今の仕事をこなす」ことを考えてばかりで何も見出さず生きていました。

新入社員時代は体感時間も長かったかもしれません。

木曽に来てからは、今まで会ったことの無い考えの人たちに出会い、「個人事業主」として「すげぇ!」と思える人たちに囲まれて過ごしています。

自分の仕事をどのように地域活性化に繋げていこうか?

ともずっと考えていました。

この「新鮮さ」という面から、ジャネーの法則を見てみると…

歳をとると、経験値が増えて、日々に「新鮮さ」が無くなるから体感時間が短く感じる

と言えるのではないでしょうか?

子供の頃は毎日が初めてのことばかり。

大人になってくると、「今までの経験に基づいて時を過ごし方を決定する機会」が多くなります。(一概には言えませんが…)

そのため新鮮さが無くなって、日々日々に対する解像度が低くなってくる。

すると、記憶に残らない時間が多くなる

→時の流れが速くなったように感じる

と考えられるのではないでしょうか?

体感時間を伸ばすには「日々の生活に対する解像度」を上げる

先程の章で、「新鮮さ」が体感時間に影響する、と述べました。

定性的に「新鮮さがあればあるほど体感時間を伸ばす」ことができそうです。

僕の中で、「新鮮さを増やす方法」は以下の2つ。

  • 初体験を増やす
  • 日々の生活に対する解像度を上げる

初体験を増やすのはイメージしやすいですよね。

初めての記憶は頭に残りやすいです。

ワクワクした感情、心身へのショック、挑む前の恐怖…などなど

僕の場合なら、新入社員時代や木曽に移ってきた今が体感時間は長くなっています。

だからこそ、みんな「非日常」を求めるのではないでしょうか?

では、「日々の生活に対する解像度を上げる」について…

僕は「有難う」と言える状態にあることが重要だと思っています。

「有難う」の記事でも述べましたが、「有難う」は「ものの役割を見ること」

自分がどんな生活をしていて、その生活はどんなものに支えられているか。

これをきちんと「そのまんま」捉えること。

そして、それに対して「有難い=希少価値がある」と述べること。

そうやって生きていると、何気なかった日々や周りのものが全て自分に対して、何かを与えてくれるものに感じられる。

つまり、日々が新鮮になってくる。

「新鮮さを見出す力」とも言い換えられるかもしれません。

逆にいうと、「いつもの日々に新鮮さを見出す力」があるからこそ「新鮮なものを心の底から楽しめる」

普段を楽しめる力があるからこそ、本当に大きいイベントに遭遇したとき、そのイベントから「新鮮さ」を最大限引き出せるんだと思います。

「速く感じる」と「長く感じる」が同居すると充実してるっぽい

さて、また意味の分からないことを言い出しました。

繰り返しになりますが、8月に木曽に来てからとても濃い経験をさせて頂いています。

「まだ8月なん?」という感覚だ、と述べましたよね。

確かにそうなんです。

でも、一日一日は一瞬で過ぎていきました。

朝起きて、感謝ワークして、5kmの歩行瞑想して、町へ行って、仕事をして帰ってくる。

時には筋トレしたり、走ったり、ヨガ、料理などなど。

夢中になっていると「時が一瞬」になる感覚、あなたも経験されたことはあるんじゃないでしょうか?

でも先程、僕は「新鮮なものでいっぱいだと体感時間が伸びそう」と言いましたよね。

「一瞬に感じる」と「長く感じる」

一見、相反しているようにも見えます。

でも、どちらも経験している…これはどう両立するのでしょう?

僕は「速さと道のり」の関係だと考えています。

時が一瞬で過ぎるときは「速さが大きい」

つまり、同じ時間で膨大な量、質、数の経験を味わうことが出来ている

「濃い時間」と言い換えても良いかもしれません。

そんな日々を一定時間過ごしてみて、後から振り返ると

「いっぱい色んなことをしたなぁ」→「時間が長く感じる」

これが「速く感じる」と「長く感じる」が両立する理屈なのではないか?と考えています。

【終わり】体感時間で「充実していたか?」を考えてみる

最後までご覧頂いて有難うございました。

「体感時間」という観点から、「人生の新鮮さ」を考えてみました。

後から振り返った時に、「気づかなかったけどこんなに色んなことやってたのかぁ」という感覚。

つまり、「速く感じる」と「長く感じる」が同居するかどうか?

これが僕の中での「日々が充実しているかどうか」の基準になっています。

「新鮮さ」を見出して、悔いの無い人生を歩んで生きたいな、と思いました。

この記事が「自分の日々ってどうなっているかなぁ?」って考えるきっかけになれば幸いです。

有難うございました。

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