ライフコーチもとあきの自分史 大学入学〜大学院生時代
こんにちは。
ライフコーチのもとあきです。
前回は高校時代、「完璧な自分を守る」ことに執心するも、大学受験は失敗、「自分なんて生きてる価値がない」と思い込みが強くなった時代でした。
さて、今回は大学〜大学院のお話。
「完璧な自分」を求める姿勢は変わりません。
それでも様々な人間と出会い、「『好き』の力」を改めて感じた時代でした。
振り返っていきます。
目次
劣等感まみれの通学
前回の記事でも述べたが、大阪府立大学工学域物質化学系学類に進学した。通学で2時間。
何度も通学途中で家に引き返した。
「この大学に通ってる自分」が嫌いだったのだ。
大学の良し悪しは関係ない。大阪の堺市にあって広いキャンパス、開放的な気持ちの良い大学だった。
頭がキレて、個性的な面白い人間も沢山いた。
なのに、僕は高校時代の同級生に対して劣等感があった。
高校時代の同級生は京大、東大、阪大、神大、その他医学部…名のある国立大学や学部に通っていた。
正確には「そんな友人だけを見ていた」。
自分でも最低なことを考えているのは分かっていた。
そんなことを考えている自分すら嫌いだった。でも、自分を好きになる方法が分からなかったのだ。
生きてるのか死んでるのか分からない
そんな状態で通学していた。
自分を救ってくれたバレー部とESS
「今の状態じゃあかん」と部活とサークルに入ることに。
バレー部とESS。
バレーボールは受験勉強で辞めてしまって、久しく近づいていなかった。
中学、高校時代に熱中した感覚、「好きだった自分」を思い出したかったのだ。
ESSは受験勉強時代に惹かれた「英語」がきっかけ。
英語の文章構成、人を惹きつけるスピーチ。
海外への憧れもあったんだと思う。
「一心で打ち込む日々」が始まった。
体育会だったので、週の殆どが部活で忙しい日々。
ただ、そこで出来た
自然と通学途中で引き返すことが少なくなっていた。
やっぱり友人に恵まれる
学部、学科、部活、研究室、バイト先…色んな友人が出来た。
みんな、僕のバックグラウンドなんて気にしてなかった。
呑んだり、旅行したり、スマホで一緒にゲームしたり、野球見に行ったり、ソフトボールの学内大会に出たり、ジャンケンでお会計の支払いを決める「漢気旅行」したり…よく笑わせてもらった。
「存在していても良いんやな」と彼らのおかげで思えた。
獣医学部を卒業したのに、現在マタニティの分野で活躍する人、同じ学科で成績優秀にも関わらず、実家の農家を継いだ人…
「自分だけの道」を迷いながらも選んでて格好良かった。
もう通学で引き返すことはなくなった。
尊敬する元恋人
大学1年で恋人が出来た。一目惚れで僕の方からアプローチ。
自分にはもったいないくらいの女性。学科でも人気者だった。
今までの僕なら「フラれたら完璧な自分になれない。やめよう」とか思っていた気がするが、そんな考え一切飛んでいた。
スピッツに歌わせるならば、「初めてプライドの柵を越えて」だ。
交際OKをもらった時は嬉しかったなぁ。
そこから約4年間お付き合いをさせていただいた。
さて、なぜそんな話を持ち出したかというと、彼女は僕に多大な影響を与えてくれたからだ。
当時、僕には「自分で人生の責任をとる」なんて考えがなく、「他責」。一方彼女は「自責」。
勉強にバイトに、課外活動にも勤しんでいた。
彼女なりに劣等感や不安はあったたようだが、それでも毎日をしっかり生きていた。
少なくとも僕にはそう見えた。
長所短所ひっくるめて尊敬していたし、彼女の姿を見て「よっしゃ、僕もやるか」と思っていた。
そんなエネルギーをくれた人だったのだ。
そんな彼女から言われた忘れられない言葉がある。良い言葉ちゃうけど(笑)
部活とバイトと学問が立て込んでいた僕は、久々に会えたにも関わらず、多忙さに対して愚痴をこぼしていた。
あまりに愚痴が続いたのだろう。
彼女が僕の言葉を遮って言った。
「もっちゃん、私は『部活やバイトやってくれ』なんて頼んでないで。」
確かに。衝撃だった。
まさしく「自責」だから出た言葉だ。
僕の中にずーっと残っていたが、29になってようやく理解した。
彼女は僕より10年近く大人だったのだ。
その後パートナーシップは解消、彼女は社会人になった後、夢を追いかけて大学院に留学した。
学生時代に「留学したい」と言っていたが、本当に行くとは。
意志の強さ、一生懸命さ、真摯さ、は僕の人生にも大きく影響を与えてくれた。
「同志がいるから頑張れる」そんなことを教えてくれた人だった。
通学も楽しみになっていた。
夢を追う姿に惹かれたNY留学
大学2年、NYに1ヶ月の留学プログラムに参加したことがある。
「今のうちに海外に行っておきたい」という至極単純な動機である。
世界観が変わる、とまではいかなかったが、現地の人たちに心惹かれた。
ブロードウェイを目指して演劇を磨き続ける同世代、ギターを弾いてその日のご飯代を稼いでいるおっちゃん…
今までの人生では見なかった「その人だけの正解」を持っている人達だった。
楽しそうだった。輝いているように見えた。
どんな立場でも対等、ズバッとモノが言えて、そして、堂々と自分の幸せを追っている…
「地位とか名声とか、『外側』が無くても、生きていけるんやな」
「『好き』に真っ直ぐ生きていきたい」
少しずつ自分の心に気づき始めていた。
「人の『好き』を創る」就職活動
就職は自動車メーカーに決めた。
動機は「人の『好き』を創るため」が半分。
なぜなら中学、大学、大学院時代で「好き」の力を思い知ったから。
あれだけボロボロだった僕が、友人、恋人、バレー、英語…などの様々な「好き」によって、エネルギーを得ることが出来た。
その力を人にも伝えたいと思ったのだ。
「好き創り」をしよう。
じゃあ、工学部に出来る「好き創り」は何か?
幼い頃から好きだった「クルマ」が頭に浮かんだのだ。
半分は、「『自動車メーカー』という大企業に行く自分がカッコいい」と思ったから。
理系で大学院まで行ったのが勿体なかったし、それを上手く使いたかったのもある。
就職を「自分の完璧に近づくため」に使うのは、今思うと勿体なかった。
でも、この「『好き』の力を知ってほしい」という軸は今後もずっと持ち続けることになる。
最後に
今回も最後まで見て頂いてありがとうございました!
「好き」を軸に生きよう、と決めることが出来た時代。
こうやって書いてると、僕は周りの人間に恵まれていたことが分かりますね。
皆さんの転機、どん底、、そこから救ってくれたものは何だったんでしょう?
是非、思い返してみてください!
自分史のまとめはコチラ
ライフコーチングについては下の記事から!